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山口
山口県(やまぐちけん)は本州最西端に位置する中国地方の県。県庁所在地は山口市。周防国と長門国から「防長」(ぼうちょう)とも、「萩の国」と呼ばれる。県魚に指定されている下関市のフグは日本一の市場取扱量を占める。
県中央部を中国山地が横断しており、日本海側から内陸部にかけては冬季に積雪が見られる。特に内陸部にある阿東町や徳地町などは県内でも有数の積雪がある。瀬戸内海側は一年を通して比較的温暖な気候である。
公園、観光地
国立公園
瀬戸内海国立公園
国定公園
秋吉台国定公園、北長門海岸国定公園、西中国山地国定公園
県立自然公園
羅漢山県立自然公園、石城山県立自然公園、長門峡県立自然公園、豊田県立自然公園
歴史
古くは大陸文化の窓口として栄え、綾羅木遺跡や土井ヶ浜遺跡などの弥生遺跡が多数残る。
飛鳥時代には、百済復興戦争の敗戦により、国防最前線として多くの山城が築かれた。
奈良時代以降は、長門・周防の2国が設置された。
平安時代末期には大規模内乱(源平合戦)の最終決戦地となった。その内乱の際に焼失した東大寺を復興するため、重源の指導のもとで周防が東大寺料国となった。
鎌倉時代には、元寇の危機への最前線司令部として長門探題が設置された。
南北朝時代には、周防の大内氏と長門の厚東氏が防長の覇を競ったが、ほどなく大内氏が勝利した。
室町時代、大内氏の支配下で山口は日本最大の40万人都市として盛え、「西京」(Western Kyoto)の異名を獲った。雪舟、ザビエルなどが訪れ、足跡を残したのはこの時代の事。
関ヶ原の合戦の後、中国地方全域を支配していた毛利氏は西軍に加担していたが、一族の吉川広家の取り成しで改易を免れ、減封されて防長2州に押し込められることになり、幕末までは毛利氏の支配する土地となる。再び、この地が脚光を浴びる時期は、幕末に馬関戦争と称して外国船に発砲し、4国の連合軍に一方的に壊滅状態にされた以降である。藩内部の権力闘争の挙句、奇兵隊を率いた高杉晋作らの活躍で尊皇に転じて、明治維新の原動力としてその名を残す。
戦前は岩国沖に浮かぶ柱島周辺が日本海軍の泊地となり、周辺都市は軍事色が強くなった。現在も存在する周南・下松・光の各市の石油コンビナートや工場は、当時の海軍燃料廠や工廠などの跡地が元になっており、岩国の米軍基地なども岩国航空隊・岩国海兵団の名残である。
山口県は政治色が強い土地柄とも言われ、戦後だけでも総理大臣を務めた岸信介、佐藤栄作の兄弟(田布施出身)、宮本顕治(共産党元議長)、厚生大臣、大蔵大臣を歴任した林義郎、民主党の代表を務めた菅直人、元文部科学大臣の河村健夫、首相候補と言われたが志半ばで倒れた元外務大臣の安倍晋太郎と、その息子で自民党元幹事長の安倍晋三(下関出身)など、政治家を多く輩出している。
過去には、下関市にプロ野球の大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)が本拠地を置いていた。
2001年夏に山口きらら博が開催された。
産業
山陽側(瀬戸内海側)は重化学コンビナートを中心とした工業と、高速道路網などを生かした流通業などが発展しているが、山陰側(日本海側)は農業・漁業などの第一次産業と観光業などのサービス産業が中心である。
かつては美祢の大嶺炭鉱で無煙炭が採掘されていたが、現在は閉山している。
重化学工業では、宇部・小野田などの西部では美祢からの石灰石を原材料としたセメントの製造が、徳山・岩国などの東部では石油精製コンビナートで、ソーダなど化学製品の企業が集中している。
下関や萩・長門地区では水産品(ふぐなど)やそれらの加工品(蒲鉾などの練製品)の製造が行われている。
山口県発のベンチャー企業として、ユニクロ(ファーストリテイリング)、ビッグモーターがある。
特産物としては美祢・秋吉台周辺から採取される大理石と石灰石及びその加工品(セメントなど)。萩を中心に生産され、茶器としても有名な萩焼、山口市の民芸品である大内塗、萩・長門市で多く生産される夏みかんなど。
年間観光客数は、下関市が最も多い。県内には、萩・岩国など、観光地として名高い所が多い。
下関の巌流島や、唐戸ウォーターフロント地区(唐戸市場、新水族館「海響館」、旧英国領事館など)、火の山、海峡ゆめタワー、東行庵、湯谷温泉など。
秋芳洞や景清洞など秋吉台周辺の観光洞窟。
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